概要
長編アニメーション映画の制作を主力事業としているが、1990年代中期以降、短編作品の制作および実写作品の企画を手がけている。また、日本国外のアニメーションの公開やDVD発売、『熱風』という小冊子の発行を行う出版事業、さらに音楽事業も行っている。
会社法上、『風の谷のナウシカ』を製作したトップクラフトを母体とし改変した設立形式をとっている。1985年6月15日に徳間書店の出資によって実現した。株式会社としてスタートし、代表権のある社長には出資者側の徳間書店社長の徳間康快が就任した。実質的に経営財務責任者は旧トップクラフトの代表取締役だった常務の原徹が就任した。当初は作品ごとにスタッフを集め、完成と共に解散する方式を採っており、アニメーターの給料も歩合制だったが、後に人材育成のためにアニメーターの給料を固定給制にするなど、高品質で安定した作品作りの拠点とした。この為、現在でもジブリ関連書籍の大半が徳間書店から刊行されている。
1996年にウォルト・ディズニー・カンパニー(WDC)並びに日本法人のウォルト・ディズニー・ジャパン(WDCJ)の間で国内でのビデオソフト(「#ジブリがいっぱいCOLLECTION」)発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結した事に伴い、「もののけ姫」よりWDC(「ディズニー」表記)が長編アニメーション作品に製作参画するようになった。また、海外では基本的に(作品毎に地域が異なる)ウォルト・ディズニー・スタジオかWDC子会社のミラマックスが配給し、ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメントがビデオ発売を担当する。2008年にはWDCJ社長の星野康二が創業メンバーの鈴木敏夫の指名により当社社長に就任している。
劇場作品専門スタジオのイメージが強いが、テレビ作品の動画グロスも請け負っている。
名称
「スタジオジブリの名称は、サハラ砂漠に吹く熱風(ghibli)に由来しており、第二次世界大戦中のイタリア・カプローニ社の偵察/爆撃機の名前でもある(CAPRONI Ca309 GHIBLI)。紅の豚においてエンジンにGHIBLIの名前もあり、宮崎駿の思い入れがうかがえる。宮崎駿の思い込みから「ジブリ」となったが、「ギブリ」の方が原語に近い発音である(イタリアのマセラティ社の乗用車ghibliは日本でも1970年代から「ギブリ」と呼ばれている)。スタジオジブリのマークは、スタジオジブリの作品『となりのトトロ』に登場するキャラクター、トトロがデザインされている。スタジオジブリの第2レーベルで実写作品部門の「スタジオカジノ」は、スタジオの所在地東京都小金井市梶野町から命名された。
2005年の徳間書店傘下からの独立に際して、「ジブリ」の名称を徳間書店から買い取らなければならなくなった。宮崎駿が買い取りに消極的な姿勢を示して鈴木敏夫もそれに同意し、新しい名称として宮崎が「シロッコ」(これもサハラ砂漠に吹く風に由来)という案を出したが、社内の評判がよくなく、結局ジブリの名称を継続することとなった。
略歴
・2009年から2010年まで「西ジブリ」が開設されていた、トヨタ自動車本社ビル1985年、設立。
・1991年、経営方針の対立から原が常務を辞任し、後任に鈴木敏夫が就任。
・1992年8月6日、東小金井駅近くの新社屋(小金井市梶野町)へ移転。
・1997年6月、経営悪化した親会社の徳間書店に吸収され、同年『もののけ姫』完成後、宮崎駿がジブリを退社。
・1999年、徳間書店の1事業部門となり、同年に宮崎駿はジブリ所長として復帰。
・2004年、徳間書店スタジオジブリ事業部を株式会社スタジオジブリに分割。
・2005年4月、徳間書店傘下を離れて独立し、鈴木敏夫が代表取締役社長に、宮崎駿とスティーブン・アルパートがそれぞれ取締役に就任。
・2008年2月、鈴木敏夫が代表取締役社長を退任し、後任に元ウォルト・ディズニー・ジャパン会長の星野康二が就任。
・2009年4月、トヨタ自動車本社内に新スタジオとして「西ジブリ」を開設。
・2010年8月、西ジブリを閉鎖。