光陰矢の如し

昨日のサッカー観戦で寝不足気味です。

2018年も、もう6月が終わろうとしています。
早くも、今年の1年の半分が過ぎてしまいますね。

「 光陰矢の如し 」

月日の経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、無為に送るべきではないという戒めを含んでいることわざです。
「光」は日、「陰」は月の意味で、「光陰」は月日や時間を表しています。
歳を重ねていくと、子供の頃よりも時間が早く進むのを感じませんか?

時間の感じ方は、心理的な状況で大きく違ってきます。

面白い映画があっという間に終わってしまう。
時間を忘れて好きな人との会話をしてる。
楽しい旅行が気がつけば最終日。
退屈な会議や授業が長く感じる。
やる事がなくて一日中家にいると時間が進まない。

こんな経験をしていませんか。

時間の進み方は一定のはずなのに、人間がどう感じるかという心理学的な問題で早く感じたり遅く感じたりするようです。
昔からある有名な説明に「ジャネーの法則」というものがあります。

写真1


同じ1年でも10歳と60歳とでは人生での比率が10分の1と60分の1で全く違います。
高齢者はその分、同じ時間でも短く感じるという説明です。

10歳の子供が感じる一年の長さは1÷10=0.1年

なのに対して、
60歳の方が感じる一年の長さは1÷60=0.016年

にしか感じないということです。子供の6倍も早く過ぎていく感じです。

またある説に
身体の状態が活発であれば心的時計は速く進み、不活発であれば進み方は遅くなるとの事。

高齢になると一般に代謝は低下します。
そこで心的時計の進み方が鈍り、時間の経過を速く感じるという訳です。

高速道路で、並行して2台の車が走っているとします。
自分の乗っている車が遅くなると、相手の車が相対的に速く見えます。
それと同じ理屈だそうです。
年を取ると心の時計のゼンマイも緩くなるというわけですね。

私たちは、記憶にない新しい出来事に遭遇したとき、その瞬間をとても長く感じる生き物です。
子供の時には人も、車も、建物も、昆虫も・・・全てが新鮮で、印象深いものだったと思います。
新鮮なものにあふれた世界で生きていた子供時代は、毎日がとても長く感じていたというわけです。

しかし大人になるにつれて、私たちはあんなに新鮮だった世界も徐々に見慣れてきます。
すると、繰り返しの毎日が段々と変化の乏しい毎日へと変わり、次第に時間の流れが早くなっていくのです。
毎日を充実させて新しい体験や、新しいチャレンジなどを積極的に行っていく人は 
いくつになっても毎日感じる時間があまり変わることがないそうです。

「 見た目が若い人は体も若い 」のトピックの中で、若く見える老人は新しいものにチャレンジしているというのがありましたね。

子供の頃のような新鮮な体験をどんどんしていきましょう。
旅に出て見たことの無い景色を堪能したり、新しい知人との交流を深めたり、新しい趣味を持ったり
色々外に出て新鮮な空気に触れて下さい。

「やっぱり同級生♪」も更に刺激的で活動的な会にして、老化のスピードも時間の流れも遅くしていきたいですね。