第3回 飛翔編


インターネットの開通





1996年の3月、私達一家は品川区から埼玉の蓮田に引っ越してきました。
長男が中学1年生・長女が小学1年生と転校のタイミングとしてはベストだったと思います。
五反田のTOCビルまでの通勤は非常に辛いものがありましたが、自然環境の良い場所で子供を育てられるのは良いことと思い我慢しました。
そのかわり通勤の駅までの送り迎えは妻が自動車で行うという了解を得ました。
駅から自宅のアパートまでは1.3キロ。 普通に歩いたら13分くらいかかります。
今は妻がパートに出るということで自転車通勤に変わっていますが。
その年の夏、忘れもしない私のPC革命が始まります。
インターネットの接続です。PCは1台ではただの便利な家電製品でしかありません。
しかしこれが電話回線でネットにつながれば世界が変わります。
PC購入と同時にいろいろ雑誌を読んで研究していた私は、ネットの将来性に注目していました。
特にyahooに注目していました。
当時は子供が小さくお金もなかったので株を買えませんでしたが、買っていたら今頃は株成金になっていたかもしれません。



通信環境の変化

yahooで検索すれば、何でも調べられます。
分厚い「現代用語の基礎知識」の本を購入しなくてもいいのです。
雑誌に載っている便利なホームページを見つけてはお気に入りに登録する生活が始まりました。
当時はマシンの能力が乏しく、ジャバやフラッシュといった動的なホームページはありません。
文章中心で少し画像がある程度でした。
それでも回線のスピードが遅いので表示に時間がかかります。
しかしネットの魅力にはまった私は常に早い回線を求めてさまよっていました。
電話回線からISDNへの変更。ISDNからADSLへの変更。
そして遂にADSLから究極の光にへの変更が実る現しました。
さいたま市・上尾市はすぐに新しい基地局ができてサービスを受けれるのですが、蓮田は埼玉でも田舎扱いでいつも最後のほうです。
でも私は常に情報をキャッチし最初に申し込みました。
またOSも不安定でフリーズしては再起動ばかりしていたウィンドウズ95から98、me そして現在のXPと次々にOSも変えました。
より早く安定した環境を手に入れるためです。
その変わりPCは大事に部品を入れ替えてバージョンアップしながら使っていました。



PCの故障修理

富士通のFMVのCドライブのハードディスクがクラッシュして動かなくなったので、出張修理を頼もうと思っなたら取り換えのハードディスクと出張修理代で2万円以上するといわれ断念しました。
といって新しいPCを買うお金もありません。
しかたなく大宮にできたソフマップに行って事情を説明してハードディスクを購入しました。しかしどうして交換したらよいものかも素人の私にはわかりません。
FMVの取扱い説明書や雑誌を購入してPCの大手術が始まりました。
PCの中身を見るのは初めてです。
基盤がむき出しで、いろんなコードがその基盤にさされています。
どこか間違って外せばわからなくなる世界です。
休みの前日を利用して作業を行いました。試行錯誤で気がつけば朝になっていたこともありました。
取り換えが終わってからが大変でした。
OSの再インストールするのですが、例の背景が真っ黒のDOS画面に英語の命令文を入力するのですが知識がないのでまったく前に進みません。
それでDOS関連の本を購入して勉強してから次の作業へと進みます。
その繰り返しでやっと無事にOSが入り元のPCに回復しました。



自作パソコンのスキル

その時の経験が後に役立ち、PCを自作することが簡単にできるようになりました。
会社の同僚のPCを直しては小遣い稼ぎをして元がとれたかなという感じです。
安い部品を探しては秋葉原に出かけはオームの経営する店で購入していたこともありました。
そのオームで購入した2万円のCPUに間違って電圧をかけ過ぎて焦がしてしまい、初期不良だから交換してとお願いに行って、自宅の住所を書かされた怖い経験もしました。
蓮田に来てネットに明け暮れしていたのでテニスはまったくしていませんでした。
テニスより当時はネットの方が面白くてしかたありませんでした。
そんなこんなで猛烈にPCにのめり込んでいた為、体はいつの間にかメタボ気味に変化。
これではと思いランニングで痩せようと思ったら重すぎて膝をやられ断念。
こんな生活を過ごしていたのです。




導入編

Copyright © stepup. All Rights Reserved.