第2回 寄道編


ゲームへの傾倒





NECのPC-8001mkIIは仕事だけでなく、ゲームも楽しめました。
しかし当時はあまり種類がなく、しかたなく雑誌のプログラムをPCに打ち込んで楽しむといった使い方でした。
でも光栄の「信長の野望」はその当時からありました。
光栄の設立者で天才プログラマーの襟川陽一(ペンネームシブサワコウ)の作ったこのソフトはびっくりするくらい良くできたソフトでした。
夜な夜なソフトの面白さに夢中になり、自国の戦力を強化しては隣の国に攻め込んで陣地を広げる楽しさにはまっていました。
当時は私が1ヵ国を担当し残りの15ヵ国をPCが担当するものでしたが、どうしてこんなことがPCにできるのかと驚くばかりでした。
そして私の興味は仕事でPCを使うことから、ゲームをする方に移っていってしまいました。
しかしPC-8001mkIIのソフトで遊べそうなのは「信長の野望」くらいでゴルフゲームも平面の画面に球の軌道が動くといったあまり面白くないものでした。
そんな生活をしばらく送っていたら、任天堂のファミリーコンピューターが発売されました。
当時としてはびっくりするような技術革新です。
トランプやボードゲームしかしらなかった私たちの度肝を抜きました。
それに価格もPCに比べてはるかに安いのです。



家庭用ゲーム機

夫婦でマリオにはまりました。カメや鳥を倒しては喜んでいました。
今日は10面をクリアしようと2人で協力しながらやっていたのを思い出します。
しばらくしてスーパーマリオが出て日本中がそのソフトに熱中しました。
今でもその音楽が耳に焼き付いています。 私の家は会社に近かったので、同僚が泊まり込みで遊びに来ていたくらいです。
パソコンからゲーム機に私の興味は180度変わりました。
ファミリーコンピューターからスーパーファミリーコンピュータ。
3DOリアルやプレイステーションにセガサターンと新宿の伊勢丹の近くの電気店に入り浸っていました。
その熱は子供にまで感染して子どもと2人で夜遅くまでデイトナというレーシングゲームに夢中になっていました。
その後プレイステーション2やドリームキャストまで熱が続きましたが、ゲームがあまりにも複雑になり興味がだんだん薄れていきました。
そして興味はまた原点のPCに戻りつつありました。



格安PCの台頭

まだまだ価格の高いPCでしたが、ついに日本に黒船がやってきました。
その名はコンパック。合併して今のHPになっています。
‪一時‬驚異的な価格で日本のPCに殴りこみをかけてきました。
当時30~50万もしたウィンドウズPCを10万代で販売してきたのです。
皆さんも自作されている方はご存じだと思いますが、PCは知識があれば部品を組み立てるだけで1~‪2時‬間あればできてしまいます。
あとはOSのインストールに少し時間がかかるくらいです。
企画が統一されているので世界中の安い部品を調達してセットすれば 安いPCが作れるのです。
日本のNECは独自仕様だったので逆に量産がきかず価格戦争に出遅れました。



国産メーカーの巻返し

その間隙を縫って富士通がFMタウンを捨ててDOSVの互換機の低価格FMV-DESKPOWERを発売してシェアーを伸ばしNECからシェアートップを奪いました。 95年の秋。ウィンドウズ95が世界的に発売され大ブームになりました。私もその冬にその富士通のFMV-DESKPOWERをついに購入しました。 当時は16万くらいしていました。 ハードディスクは何と850メガバイト(初代は420メガバイト)しかありません。最近私が秋葉原のあきばおーで買った2ギガのSDカードが399円と比べるのもバカらしくなる程の容量です。よくOSがはいっていたものです。 それからは私の第2期 PC時代に突入することになったのです。



飛翔編

導入編

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